漫才?…放浪芸てキミ! お笑い漫才と放浪芸・大道芸をつなぐ
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今ではほとんど見る事ができなくなったけれど、とってもステキな芸能が、日本にはたくさんあります。そんな芸能をここでは紹介する…だけではなくて、どんどん探訪します!そして実演します! みんなでまだまだ忘れられるには惜しい芸能の数々を楽しみませんか!
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戦争の影と捨丸

満州事変から第二次世界大戦まで

しのび寄る影

第二次世界大戦の端緒となった満州事変は昭和6年の出来事です。
今回は昭和6年から、昭和16年の第二次世界大戦開戦辺りまでをみていきたいと思います。

昭和8年にはエンタツ・アチャコしゃべくり漫才を確立しています。
まだまだ当時は戦争の影はあったものの、あまり深刻ではなかったといいます。
しかし昭和12年露慮溝橋事件の辺りから、状況は深刻になります。
その事件の1、2年後、捨丸は巡業で樺太をまわっていました。
捨丸の長男の敏も一行の事務員として同行していたのですが、ある時捨丸に電話がかかってきます。
長男召集の知らせでした。
しかも当時捨丸の妻えいは、子宮ガンのため自宅で病床に臥していました。
そんな時捨丸に、劇場の経営をしないかという話が舞い込みます。
これなら巡業で家を離れずにすみます。

捨丸は巡業を辞めて神戸劇場の経営に当たります。
しかし商売は上手くいかず、悩みのタネは増えるばかりでした。
それに、根っからの芸人である捨丸が、舞台を忘れられるはずがありませんでした。

捨丸は再び巡業に出ます。
今度は満州の、それもかなり奥地まで行ったようです。
当時は排日運動と排日思想が蔓延していて、楽な旅ではなかったそうです。

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