漫才?…放浪芸てキミ! お笑い漫才と放浪芸・大道芸をつなぐ
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今ではほとんど見る事ができなくなったけれど、とってもステキな芸能が、日本にはたくさんあります。そんな芸能をここでは紹介する…だけではなくて、どんどん探訪します!そして実演します! みんなでまだまだ忘れられるには惜しい芸能の数々を楽しみませんか!
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横山エンタツと関東大震災

もう一人の漫才師から見た関東大震災

その時横山エンタツは…

現在のお笑いのビック3と言えば、さんまタモリたけしですが、
近代漫才のビック3を選ぶなら、玉子家円辰砂川捨丸横山エンタツという事になるでしょう。
大正12年、横山エンタツはすでに芝居から転向して漫才専門なっていました。

その年横山エンタツは、8月は15日から横浜の朝日座に出演しておりました。
当時流行していた安来節と一緒だったそうですが、宿は別にとってもらっていたそうです。
前日かなり飲んで、正午まで寝ていた時に、かの地震に襲われました。
必死で屋外に脱出した時、旅館が倒壊して、何とエンタツはその下敷きになってしまいます!
救出された時は全身血だらけ、
本人曰く「鼻柱は折れて3倍にも膨れ上がり、唇もヒョットコのようになって、2度とは見られない化け物さながらの顔」
になっていたそうです。

エンタツは、旅館の男衆に背負われ横浜の北端の水道山まで逃げ延びました。
ちなみに安来節の一行は、2名の死者が出たそうです。
そして今度は在郷軍人に頼んで、日暮里駅まで運んでもらいました。
僕は関東の地理がよくわからないのですが、エンタツは北陸線で関西に帰る事を考えていたそうです。
そして日暮里駅で、捨丸とエンタツは出会いました。
乳母車に乗ったエンタツの姿を見た捨丸は涙したといいます。

この後エンタツは北陸線で、捨丸は中央線で帰路に着きます。
しかしこの2人、まさに奇跡の生還ですよね。
運も実力のうちと言いますが、それを地で行く2人だと思います。

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