漫才?…放浪芸てキミ! お笑い漫才と放浪芸をつなぐ
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今ではほとんど見る事ができなくなったけれど、とってもステキな芸能が、日本にはたくさんあります。そんな芸能をここでは紹介する…だけではなくて、どんどん探訪します!そして実演します! みんなでまだまだ忘れられるには惜しい芸能の数々を楽しみませんか!
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捨丸の初舞台

その1

10歳にして初舞台

明治23年12月27日、大阪府三島郡味生村(現在の摂津市)に捨丸は生まれました。
本名は池上捨吉と言います。
昔は子だくさんの家などで、「これ以上子供が欲しくない」という場合、名前に「留(トメ)や捨」などの字を使う事が多かったので、捨吉の捨もその意味で付けられたものと思われます。

そして芸名ですが、昔は本名の頭文字の下に丸を付けて芸名とする事が多く、
「オッペケペー」で有名な川上音次郎も一時は寄席芸人として千日前の寄席に出た際は、浮世亭○○(うきよていまるまる)という、ふざけた名前を名乗ったりもしていました。

父は安吉で、シコ名を駒嵐という相撲取りでした。そして祖父の茂兵衛も糸桜という相撲取りです。
長兄の千太郎(芸名千丸)は、捨丸より14、5歳上だったそうで、江州音頭の音頭取りでした。
なかなか流行っていたらしく、内弟子も通い弟子も相当いて、夜遅くまで稽古の音が鳴り響いていたそうです。

ちなみに、千丸の師匠は砂川米勝という純然たる祭文語りであるので、砂川の亭号は元々祭文語りのものであるという事になります。

さて、そんな家庭で育って、捨丸が江州音頭を覚えないわけがない。
尋常小学校の上級生になる頃には、近所でも学校でも喜んで歌っていたといいます。
姉に連れられて、千丸の出演する千日前井筒席の楽屋に行った時、
別に舞台にアナがあいたわけではないが、千丸は捨丸を舞台に上げました。
尋常小学校3年、捨丸10歳の時です。
10歳の子供が、基礎のできた本格的な江州音頭をやるので、客席は大喝采だったそうです。
これが砂川捨丸、10歳での初舞台です。

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